AIによる高精度な自動翻訳が日常のインフラになりつつある今、「なぜわざわざ人間が外国語を学ぶ必要があるのか?」という問いは、かつてなく鋭さを増しています。ここで一つの思考実験をしてみましょう。

もし、この社会から「英語教育」がなくなり、英語の先生が完全に消滅したら、私たちの社会はどうなるでしょうか。

翻訳機が代行できない「人間としての歩み寄り」

「DeepLやスマホの翻訳アプリがあるから生きていける」と思うかもしれません。しかし、それは言語の機能を「単なる情報の変換ツール」としか捉えていない証拠です。言語教育の真の目的は、単なる文法や単語の習得ではなく、「異文化間コミュニケーション能力(Intercultural Communicative Competence)」を育成することにあります。

英語教育が消えた社会に待っているのは、「自分とは異なる背景を持つ他者を想像し、歩み寄ろうとする体力の欠如」です。未知の価値観や想定外のトラブルに出会ったとき、翻訳機は言葉を正確に訳してくれても、相手の目を見て「あなたのことをもっと知りたい」「一緒に解決しよう」と歩み寄る人間としての姿勢までは代行してくれません。

「他者との繋がり方」を学ぶための英語

他者の言語を学ぼうとすることは、相手への最大のリスペクトです。完璧な発音や文法でなくても、目の前の相手に伝わるように必死に言葉を探し、身振り手振りを交える。その「伝えようとするもがき」の中にこそ、人間同士の信頼関係が生まれます。

もし英語教育がなくなれば、私たちは異なる文化や価値観との摩擦を避け、AIのフィルター越しにしか世界を見られなくなります。それは間違いなく、他者への想像力が欠如した、極めて不寛容で孤立した「分断社会」へと繋がっていくでしょう。

だからこそ、今の時代に英語を教え、学ぶ意義があるのです。私たちは英語という言語を通じて、「多様な社会をどう生き抜き、どう他者と繋がるのか」という人間としての本質を学んでいるのです。

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