体育館に響き渡る、学校管理職の長い話。ピシッと整列し、身動き一つせずに前を見つめる生徒たちを見て、多くの大人は「今日も素晴らしい態度だ」と満足げに頷きます。

しかし、公立高校で15年間教壇に立ってきた私は、その光景を見るたびに強烈な違和感を抱いてきました。彼らは「静かに話を聞いている」のではありません。同調圧力と学校というシステムの中で、ただ「我慢している」だけなのです。

「無難な言葉」が奪うもの

なぜ、学校での講話はこれほどまでにつまらないことが多いのでしょうか。理由は明確です。教育委員会や地域社会、保護者からのクレームを極端に恐れ、「前例を踏襲し、誰も傷つけない無菌状態の言葉」を読み上げているからです。「皆さんには期待しています」「ルールを守りましょう」——そこには、語る本人の血の通ったストーリーがありません。リスクを完全に排除した言葉に、人の心を揺さぶる熱など宿るはずがないのです。

この15年で、教育現場には「1人1台端末」が導入され、ハード面での変化は起きました。しかし、内側である「事なかれ主義のシステム」は驚くほど変わっていません。本来、未来の教育をリードするはずの教育委員会が、現場の教員から「憧れのキャリア」として見られないのはなぜか。それは、現場での教育実践よりも、書類の山とクレーム対応という終わりのない防衛戦に忙殺される過酷な環境だと、皆が知っているからです。

我慢の時間を「夢中の舞台」へ

守りに入り、疲弊しきったシステムから、新しい教育は生まれません。「我慢して黙って聞く」だけの受動的な時間では、生徒の主体性も、自ら言葉を発する自己効力感も育たないのです。

だからこそ、私は「与えられた枠組み」の中で嘆くのをやめ、ゼロから新しい仕組みを生み出す道を選びました。生徒が自ら夢中になって英語を話し始めるスピーキングアプリ「PicSpeak」の開発もその一つです。

教師の役割はもう、教壇から一方的に知識を伝達し、生徒に我慢を強いることではありません。生徒が自ら世界と出会い、心を通わせるための舞台をデザインすることなのです。私はこれからも、一人のGlobal Educatorとして、生徒たちが自分の言葉で未来を切り拓く環境を創り続けていきます。

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